ホール・エルー法の裏話 偶然か?奇跡か?アルミの精製方法

今回はアルミホイール、
そのほか自動車産業のみならず
航空機や船舶、
あらゆる工業製品にかかわる
アルミニウムについてのお話です。

軽量で加工しやすいアルミニウムは
19世紀の前半までは
非常に高価金属として
金や銀よりも高いものとされていました。

しかし、
あるアメリカ人と
フランス人の発明によって
現代のような工業利用可能な
金属として普及しました。

この二人には
奇跡としか思えないような
エピソードがありますので、
このことについてお話したいと思います。

アルミニウムの原料ボーキサイト

まず金属というものは元々、
土の中に埋まっている物だということは
皆さんご存じだと思います。

アルミニウムは『ボーキサイト』
鉄礬土(てつばんど)
という名前の不純物が混じった
鉱石として鉱山から掘り出され、
その30パーセント以上が
オーストラリアから
産出しています。

赤茶けたボーキサイトには
酸化したアルミニウムが
40%~60%しか含まれておらず
不純物を取り除いたり、
酸化を解くことによって
アルミニウムが精製され、
工業利用されています。

photo by Morgan Ginther

高価だったアルミニウム

フランスの学者
サント・クレール・ドビルは
電解法でのアルミニウムを
製精することに成功。

フランスの皇帝
ナポレオン3世の統治下で
開催された1855年に開催された
パリ万国博覧会では、
ドビルが試作した
アルミニウムの延棒が展示され、
ナポレオン3世の目にとまります。

ナポレオン3世は
自分の上着のボタンや
皇太子のおもちゃなどを
アルミニウムで作ったり、
アルミニウム製の食器を
ごくわずかな
重要来賓にのみ使用していた
といわれています。

不純物だらけのアルミニウムを
精製するのは非常に難しく、
ドビルの発明した方法であっても
少量であったため、
この時には非常に貴重で
高価な金属
だったのです。

現代のアルミニウムの精製方法

パリ万国博覧会から30年ほど後、
1886年に
アルミニウムの製錬方法として
現代も利用され続ける技術が
発明されます。

それが、
『ホール・エルー法』という方法です。

『ホール・エルー法』は
その2年後に発明される
『バイヤー法』と共に、
現代のアルミニウム精製において
唯一実用化されている方法です。

『バイヤー法』
ボーキサイトから酸化アルミニウム
『アルミナ』をろ過抽出する方法です。

このバイヤー法によって得られた
アルミナを電気分解して
アルミニウムに精製するのが
『ホール・エルー法』
です。

ホール・エルー法に変わる
新たな技術開発も行われていますが、
商用化できるような方法は、
現在でも見つかっておらず、
ホール・エルー法は
現在唯一のアルミニウム精製方法
として利用されています。

ちなみにホール・エルー法の欠点は
大量の電力を必要とする点です。

これをリサイクルアルミから
精製すれば
ボーキサイトから精製する
使用電力の3%ほどで済むそうです。

新しい方法が見つかるまでは
きちんと分別して
リサイクルするのが
省エネにつながるようですね。

ホール・エルー法 名前の由来

『ホール・エルー法』というのは
『ホール・エルー』さんという
1人の人物が
考え出した方法ではなく、
アメリカの
『チャールズ・マーティン・ホール』さんと
フランスの『ポール・エルー』さんが
考えた方法で、
これが名前の由来になっています。

「ああ、じゃあこの2人で協力して発明したってこと事ね?」
と思ったら、
それも違うのです。

実はこの2人、
1886年の同時期に
それぞれ独自に同じ方法を発明
したのです。

全く面識もないこの二人が
遠く離れた
アメリカとフランスで
思いつくだけでも
まぁ奇跡的な事なんですが
この2人のプロフィールを
見てみますと・・・

チャールズ・マーティン・ホール

1863年12月6日 – 1914年12月27日
アメリカ合衆国の発明家。

子供のころから鉱石に興味がって
自宅で実験を
繰り返していたほどの鉱石好き。

大学在学中に先生の影響で
アルミニウムの製法に興味を持ち、
アルミニウム精製法についての
実験を始めるようになる。

大学卒業後もホールは実験を続け、
数多くの失敗を繰り返したが
ついに精製方法を発見する。

資本家から出資を得て
現在のアルコア社
(トラックのアルミホイールでも有名)
前身となる1889年に
ピッツバーグ・リダクション会社を
発足させ、
アルミニウムの工業的製造を開始。

ホールは副社長になり、
当初はほとんどなかった
アルミニウムの需要を
世の中に広めていった。

ポール・エルー

1863年4月10日 – 1914年5月9日
フランスの化学者。

金属の電気精錬に興味を持ち、
当時銀よりも
高級なアルミニウムをもっと
安価にできないかと考えていた。

小さな発電機を用いて溶融した
氷晶石に酸化アルミニウムを
溶解させ、
電解でアルミニウムを
製造する方法を発明し、
特許を得た。

出典文献:Wikipedia

チャールズ・マーティン・ホール – Wikipedia

ポール・エルー – Wikipedia

偶然か?神のいたずらか?

このお互いに面識がない2人は

1863年 同じ年に生まれて、

1886年 同じ年に同じ発明をして・・・

1914年 同じ年に亡くなっているのです。

130年前に発明された技術が
いまだに誰にも超えられず、
使われ続けているのも驚きですが、
このホールさんエルーさんの
奇跡的な生没に関しても
驚きではないでしょうか。

とても不思議なエピソードです。

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